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1996年

北海道 列車乗り継ぎ旅行


7月26日

自宅にて

日々のサラリーマン生活で蓄積された精神的疲労が最高潮に達したその時、突発的・発作的に「北海道へ行こう!」と思いついた。明日からは、会社入社以来初めての長期連休だ。

学生時代にお世話になった青春18キップ。あのころは今にも増して金欠だったが、そのおかげでツアー旅行などでは絶対に得られない、旅本来の楽しさや醍醐味を味わう事ができた。それに、僕が小さい頃は電車に乗るのが大好きで、乗れば車窓の景色をいつまでも飽きずに眺めていた。それをもう一度やってみたい・・・。

すぐに出発したくなり、大急ぎでキップを買いに走る。

・青春18キップ(11300円) 
・時刻表大型判(950円)  
・寝袋
・折り畳み傘
・携帯目覚まし時計
・マグライト
・カメラ(オリンパスミュー)  
・ウォークマン+テープ10巻 
・文庫10冊
・ノート+ペン 
・芯を抜いたガムテープ 
・衣類

以上をリュックと小型のトランクケースに振り分ける。


7月27日


常磐線 上野5:10→いわき8:33

行き当たりばったりの旅になると思う。とりあえず各駅停車を乗り継いで、北海道を目指すことにはしているが、それ以上の事は何も計画していない。旅行スタイルは、どちらかといえばバックパッカー系だ。リュックの下にくくりつけた寝袋がそれを主張している。

ムーンライト越後を使った羽越線ルートで行きたかったのだが、さすがに昨日の今日では座席指定が取れず、また東北本線経由だと今日中に青森まで着かないため、常磐線を使い仙台まで出ることにする。埼玉某所から京浜東北線で上野駅までいったん出て、始発のいわき行き普通列車に乗り込む。

車内はさすがに空いていた。朝日に照らされながら眠りこけている、昨夜(金曜日)の終電に乗り遅れたサラリーマン達と一緒に発車時間を待つ。

朝5時10分、上野駅を出発。電車は日暮里、北千住、松戸と、見慣れた駅を一つ一つ順繰りに停車してゆくが、それが延々と北海道まで続いてゆくことを考えると、あまりに非現実的で笑いがこみあげてきてしまう。


いわき駅にて

ブドウパン、おにぎり一1個、缶コーヒー1本をキヨスクで買う。


常磐線 いわき9:21→仙台12:08

通路を挟んで反対側に座っていたおばさん二人連れと話をする。大阪から来て、これから三陸海岸などを観光して廻るということだ。

いわき駅を出発してしばらくすると右手に海が見えてきた。海岸線へ近づいたり離れたりしながら海沿いを進んでゆく。気分爽快。


仙台駅にて途中下車

駅構内のキャッシュディスペンサーにて予備分のお金をおろしておく。仙台は湿気も多く、うだるような暑さだ。ちょうどお昼時だが、それ程おなかは空いてはいない。朝早く起きると一日がとても長く感じる。

もうかなりの時間列車に乗っている。しかし未だ北海道までの道のりの、半分にも到達していない。ふだん飛行機や新幹線しか使わない人に、この距離感は理解してもらえないかもしれない。


東北本線 仙台12:40→一ノ関14:19

ビールを一つ買い込み、車内にて時刻表とにらめっこをしながら、青森より先のスケジュールを立てる。出発した時点では、ただ漠然と北海道へ行く事しか考えていなかったので、その後の具体的な行動予定は何も決めていないのだ。ほろ酔い気分の中、プランを4つほど考えてみた。だが・・・

 結局、道内の移動にも青春18キップだけとなると、広い範囲を巡ることは出来ない。周遊券があれば便利だが、それでは最初の趣旨と違ってきてしまう。やはり今回は極力お金を使わず、北海道の車窓を楽しみ、「大まかなポイント」だけ設定しておいて、後はその日の気分で行動することにする。一人旅なのだからノープロブレム。誰にも文句を言われることはない。

 その後、眠くなり熟睡モードにはいる。

目が覚めると車内は学生など地元の人たちで結構混雑していた。鈍行列車のいいところは、その地方の空気を直に感じることが出来る点にある。気温、方言、景色、音、人情等々・・。新幹線などより断然時間はかかるが、その分受け取れる情報、すなわち楽しみの数も多い(楽しみとなるか苦痛となるかはその人次第だが)。

時間を稼ぐのであれば早いに越したことはないが、少なくともビジネスではなく旅行である場合、猫も杓子もどんな場合でも新幹線や飛行機というのは少し味気ない気がする。目的地への移動だって立派な楽しみのひとつなのだから、TPOにあわせて使い分けてもいいのではないだろうか。


東北本線 一ノ関15:00→青森20:42

いよいよこの列車に乗り換えれば、次に下りるときは青森駅だ。いまどき5時間42分も走り続ける普通列車は珍しくなりつつある。既に背中や腰が痛くなり始めていた。

音楽を聴きながら、先ほど考えた「大まかなポイント」の設定を始める。列車は延々と続く田んぼの真ん中を、夕日を受けながら進んでゆく。日本は「お米」の国なんだと、車窓を眺めながら改めて実感する。

北上、花巻と過ぎて盛岡に停車。ここで車内のお客のほとんどが入れ替わる。
地元の乗客に混じり、少数ながら北海道を目指すと思われる人も乗り込んできた。おそらく東京から新幹線でここまで来たのだろう。だとすると彼らは上野を午後1時過ぎに出発したのだ。僕とのタイムラグは約8時間。

八戸を過ぎて、外も暗くなりはじめて来た。

<1543M>は青森を目指して走り続けている。僕はといえば、本を読む気にもなれないし、音楽を聴くのも疲れたし、既に眠りすぎて目は冴えてちゃっているし、やることといったらたばこを吸うくらいだが、久々に出来た自由な時間なので、普段は考えないような事まで含めて様々な事を思案した。

考え事をするのには、一人旅は最高だ。

まもなく空の色と区別が付かなくなってしまうであろう、でもまだわずかに判別できる山の稜線をながめる。いわゆる旅愁というか、東北独特のちょっと寂しげな空気感が車内をただよう。

すると突然女子高生達が集団で乗り込んできた。野辺地からしばらく先まで、1学期の成績表を見せあったりして、笑い声は絶えなかった。ヨソ者が勝手に描く、安っぽいステレオタイプな旅情は地元パワーで吹き飛んだ。彼女たちはここで生活しているのだ。そしてこれが各駅停車なのだ。


青森駅にて

プラットホームから降り立つと、そこは東京とは違う空気だった。湿気もあるし、気温も意外と高い。でも青森駅には、他の駅とは違った、何か特別な雰囲気が漂っているように思う。・・・これもただの既成概念・・・

しかし、上野から15時間と32分、その昔、北海道に旅立つ人たちは、この青森駅の乗船用待合室でしばらく休憩をとり、青函連絡船乗船名簿への記入をすませ、ある者は東京で成功出来ずに終わった悔しさを、またある者は、はやる気持ちを抑えながら、出航を告げるドラの音に見送られ、船は汽笛を響かせながらゆっくりと桟橋から離岸し、潮風の吹き付ける船上デッキから見える夜の青森港の灯りはやがて少しずつ小さくなり、遠くで点滅している灯台と、下北半島や津軽半島からの明かりがかすかに見えるだけとなり、眼下には漆黒の海の中から沸き上がる幾つもの蒼い泡の渦が波間にうねり漂い、船尾に向かって流れて行くのをただ見つめ続け、それでも旅人たちは甲板から離れようとしない、ドラマのような風景が実際にあった・・なんて気持ちに思わずならざるおえないような、ともすれば誰もが感慨に耽いりたくなってしまう気持を持たせる程の吸引力を持つ独特の雰囲気がかつて青森駅に存在していたことは、やはり事実だと思う。(←長い文だな)

船で津軽海峡を渡るという行為は、一種の「儀式」というか、いずれにしても内地とは全く別の「北海道」へ渡るということを誰にでも強く認識させるものだった。「♪津軽海峡冬景色」という唄は、的確にその雰囲気を表現していると思う。(僕は演歌の楽曲構造や演歌的な色恋沙汰が大嫌いなのだが、この曲だけは例外的に好きなのだ)

それとも、あの曲がヒットしたからこそ後に形成されたイメージなのだろうか。

いずれにしても人々があの歌に共感したのは事実で、今でも青森駅を訪れる旅人の多くは無意識の内にも、「♪津軽海峡冬景色」のフィルターを通して海を眺めるのだろう。

青函トンネルが出来て、もう連絡船には乗れないが、それでもまだ青森駅には当時の残り香というか、独特の旅情を感じさせる何かが、今でも染みついているように思えた。


青森青函公園にて

僕は考え悩んでいる。今夜のうちに函館まで行くか、それとも青森で一泊(駅泊か野宿)するか。クリアすべき問題点が2つほどあり、23時頃までには結論を出さなくてはいけない。いずれにしろ時間があるので駅を出て、僕が昔乗った八甲田丸が展示されてる公園に向かった。

改札を出ると、よりいっそう潮の香りがする。夜露と潮風で肌がべたつく。駅を出て左へ向かうと、グリーンにライトアップされた大きな橋と、その下に水銀灯で浮き上がってみえる八甲田丸があった。とても綺麗だ。近くまで行ってみると八甲田丸は大きかった。もう二度と動かないと思うと少し残念だ。

船の中に入ってみる。船室が宴会場やレストランになっていたが、当時の雰囲気は良く残っていた。デッキに出たくなり、クローズドのプレートがかかっているドアをこっそり開けて階段を上った。そこは大した改造もされておらず、面影はそのままにビアホールと化していた。海を挟んだ向こう側には、以前にはなかった高いビルやグリーンにライトアップされたブリッジが見えて、夜景としてはなかなか綺麗だ。


再び青森駅

青森駅に戻ると、とりあえず待合室のイスに腰を降ろし、いわき駅で買ったパンとおにぎりをリュックから取り出して食べ始める。今夜の夕食だ。いつもの僕と違い、ゆっくり食べる。少しでも満腹感を感じていたいためだ。

22時30分に札幌の友達へ電話をして、今夜のうちに函館に行くことを決めた。「急行はまなす」の函館までの切符を買う。鈍行に乗って行けば金はかからないのだが、この先普通列車の函館行きは明日の朝までない。函館からの始発に乗って先を急ごうと思い、決断した。


津軽海峡線 <急行はまなす号> 青森23:08→函館1:31

待合室を出てホームに着くと、急行はまなす号は既に入線していた。ブルーに白帯の14系客車。夜も遅いのにホームの売店は結構繁盛している。車内持ち込みのうどんなどを買っているお客も多い。座席に座るとシートが違う、リクライニングすることが出来る。

走り出しても音が静かだ。電車や気動車と違い、ただ機関車に引っ張られて走るだけの客車は、駆動モーターや付随する制御機械などの雑音が少ないので独特の雰囲気が楽しめる。乗車率は70パーセント位。この急行は終点が札幌であり、ほとんどの客がそこまで寝て行くため、発車後まもなく減灯、室内の明るさが半分になった。この照明がFLではなく白熱灯だったらいいのに・・などとマニアックな事を考えつつ、いつの間にか寝入ってしまいそうになるが、そこをぐっとこらえて函館まで起きていることにする。

青函トンネルへはすぐに入るわけでなく、青森駅から竜飛岬の方まで結構な距離を走る。いくつかの小さいトンネルをくぐり抜けた後、世界一長いトンネルへと入って行く。トンネルに入るやいなや、見る見るスピードが上がって行く。かなりの速度で飛ばしているようだ。この頭上に、暗黒の津軽海峡が横たわっているなんて、ちょっと信じがたい。

入ってからかなりの時間がたち、もういい加減飽きたと思っていたところ、ふと車内が静かになった。北海道側に出たのだ。昼間なら北海道の景色を楽しむこともできるが、あいにく外は闇、しかも道路が光って見えるところを見ると、さっきまで雨が降っていたようだ。

青森でも思ったが、そのまま本州から列車に乗ってズルズルと北海道に渡ってしまうのは良くない。何かもっと、「海を渡った」と実感させる”印”がほしい・・・。そんなことにしきりにこだわっているのは、車内の中では僕だけだろうけれど。

トンネルを抜けても、すぐには函館に着かない。その昔ニシン漁が盛んだった頃に建設された、旧称「江差線」と呼ばれていた路線を走り続ける。
それでも日記を書いたり時刻表を見たりしているうちに、いつの間にか函館駅に到着した。


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